イトチの日日

    札幌在住 50代 性別はおばさんです。日々の記録です。

    母について


    昨日は母の日でしたね。
    イトチです。
    母の日と縁がなくなって40年以上たちます。

    8歳の時に生き別れたので、私は母の誕生日を知りません。
    父より7、8歳年下ということは聞いたことがあるので、生きていれば74とか75のはずです。

    けれど今どこにいるのかも知らないので、確認しようがありません。


    うんと小さい頃、私は母のことをたいへん信用しておりました。
    母に怒られて、怖いと思ったことがなかったのです。

    もし母が私の行いで、悲しそうな顔をしたり、低い声で何かを言ってきたとしたら、それは大抵、私が何かいけないことをした時でした。

    なので必死に未熟な記憶力で、その日1日のことを反芻したものです。
    すると大抵、「これかな?」と思うような原因が見付かりました。

    そのことから、私は母のことを「自分を正しい方向へ導いてくれる人だ」と認識していました。

    さまざまなことを教え、与えて、生かす人。
    間違ったことを正し、お手本となり、私のことを理解し、受容してくれる人。

    そこにあるのは満ち足りた幸福感と、母を通してつながる世界への信頼でした。

    私は受容されている。
    だから私もあなたを、世界を受容する。


    そんな蜜月が終わったのは、4、5歳の頃だったと思います。

    私が2歳になる少し前から母方の祖母と同居が始まっていたのですが、この母の母が、私のことを苛めるタイプの人だったのです。

    具体的な内容はもうほとんど忘れてしまいましたが、しつこく言われていたのは、
    「3人きょうだいの真ん中は鬼子」
    「家族の誰にも似ていない」
    などの仲間外れ系の言葉でした。

    なので「お前は橋の下から拾ってきたんだ」という常套句もよく言われていました。
    「橋の下で泣いていて可愛そうだから拾ってきたんだ」
    とのことでしたが、嘘なのは分かっていました。

    子供の直観が「苛めているのは実の祖母で、この家が自分の居場所なのだ。逃げ場はないのだ」と告げていました。

    そして祖母の苛めを見ているうちに感化されたのか、段々と母も私を苛めるようになっていきました。

    人生で一番辛かったのが、その時期かもしれません。
    信じていた人、世界へつながる扉、私を導き、正すはずの人が、私に意地悪をしてくるのです。

    いったい何が正しくて、何が間違っているのか分からなくなりました。
    良い母親と悪い母親の、どちらが本当かも分からなくなりました。

    世界は何度も壊れ、いびつな形で再生を繰り返します。
    倒れては何度も起き上がりますが、何かが確実に失われていきます。
    そんな中で信用できるのは、自分の経験則だけです。

    人は人を裏切るー。
    これだけは絶対!

    ただ幸いにも両親が離婚したことで、私の苦痛は8歳で終わりました。
    命拾いしたと思います。

    世の中にはもっと辛い目にあっている子供が、おそらく沢山いると思います。

    虐待がなくなるとはどうしても思えないけれど、それでも夢のような、すべての子供が幸せに感じて生きられる世の中になることを願っています。







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      [ 2021/05/10 22:26 ] 家族 | TB(-) | CM(-)